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SALA SUSU Paper

SALASUSUで働く“ひと”に
フォーカスした“Paper”

「世界でいちばん優しい工場」一言でいうなら、ここはそんな場所。

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Writer: SALASUSUブランドディレクター菅原 裕恵HIROE SUGAWARA

作り手がどんなに情熱を注いでつくったものも、いつかは役目を終えて捨てられてしまう。それは仕方のないこと。それならば、作られてから捨てられるまでに、できる限りいろんな幸せや価値を生みだすような商品を提案したい。
これが、ものづくりに携わる私が大切にしていることだ。

ものづくりの仕事に、疑問と罪悪感を抱える日々

SALASUSUで働く前は、日本で婦人靴のデザイナーをしていた。就職が決まったとき、長年憧れていた念願の仕事につけてとても嬉しかったのを覚えている。

しかし、当時からすでに不況がささやかれていたファッション業界。私が担当していたブランドも例外なく、さえない売上と向き合っていた。
価格競争が激しくなり、下請けメーカーに対してコスト減を要求しながら、発注量も減らさざるを得なかった。

それでも毎年新しい季節が来れば新作が発売され、季節の終わりが見えればセールにかけられ、売れ残ったものは倉庫へと戻される。
働いて5年目のあるとき、そのすべてが不良在庫として一斉廃棄されることになった。
総数2万足、その年の新作も含まれていた。

私は何を作っていたんだろう。
悲しみと疑問を感じつつ、でもこれは仕方がない、どこでも起きていることなんだ、と自分を言い聞かせた。

「最近息子が入ってね、後を継いでくれることになったんだよ」と嬉しそうに話してくれていたメーカーさんが、業界全体の不況から倒産した。
品質や技術にこだわりを持ち、ものづくりに誠実であろうとしたメーカーほど、苦しみ、潰れていった。

誰の手にも触れず、何の幸せも生み出さずに廃棄される靴。
誠実にものづくりに向き合っていても、それが報われない仕組み。
オートマチックに生み出されつづける「新作」。

作り手も使い手も誰も喜ばない、誰も望んでいないこのものづくりが「仕方がないもの」なんだとしたら、それはなんて悲しいことなんだろう。
もっと、多くの幸せが生まれるものづくりはできないのだろうか。
そんな思いで、28歳のとき、6年間働いた会社を離れた。

作り手の成長と幸せが育まれる、ものづくりのかたち

その後、出会ったのがSALASUSUだった。最初はお手伝いのつもりだったが、深く話を聞けば聞くほど、驚き、引き込まれた。

品質・デザインの高いものを、妥協せずに作り続ける。
ものづくりに関わる人たち全員の成長や幸せが、心から願われている。

「世界一優しい工場」。SALASUSUを一言で言うとしたならば、私はこう表現する。
そこで働く作り手、カンボジア人・日本人スタッフ、そしてものを将来手にしてくれる使い手も含めて、一人ひとりのことを想い、大切にする優しさで溢れていると感じるからだ。

私たちが雇用している作り手は、最貧困家庭出身の女性たち。一人ひとりにカンボジア人トレーナーが寄り添い、成長を見守りながら、日々ものづくりに向き合う。
私の役目は、その中で作り手を最大限成長させることができ、使い手を魅了し喜ばれる素敵なものをデザインすること。

昨年の9月、1年ぶりに工房を訪れ、商品開発チームで共に働く作り手のトゥイに会った。凛とした、あたたかい笑顔。最近私とほぼ同じタイミングで初めての子どもが生まれ、今は子育てと仕事の両立を頑張っているという。

トゥイは工房で働いて今年で10年になる。以前は家族を支えるために農作業の仕事をしていた。学校には行けたり行けなかったりを繰り返し、15歳でやっと小学校3年に進級したが、やむを得ず中退。その後もずっと日雇いの仕事を繰り返していた。

工房に入ってきたころの彼女は見るからに自信がなく常に怯えていて、スタッフに質問すらできなかったと、トゥイを採用したころから共に働くカンボジア人トレーナーのソパーンは話す。

それでもトレーナーたちの粘り強いサポートを得て、少しずつ技術を身につけ、成長していった。6年後にはチームのリーダーになり、さらには高いものづくりの技術が認められ、新商品を作るサンプルチームのメンバーにも抜擢された。

私が一番印象に残っているのは、ある新商品を一緒に作っていたときのこと。何度も試作を繰り返したがどうしても完成度が上がらず、20の試作の果てに泣く泣くボツにした商品があった。

ずるずると引っ張ってしまって、トゥイたちの時間を無駄にしてしまった。ごめんね、と言おうとした時、トゥイがぽろっと言った。「望む形に作り上げられなくて、ごめん」。

そこには彼女の作り手としての責任感と、プライドがあった。

今では、他のトレーナースタッフとも対等に話ができるくらい自信を身につけ、生き生きとしているトゥイ。「良い商品を作って世界中に届けることが今の夢です」ーーそう笑顔で話す姿を見て、きっと彼女はもう自分の足で自分の人生を歩いていけるだろうと、頼もしく感じた。

これを目指していたんだ、という確信

工房ではもう一つ印象深い出来事があった。休憩時間、商品開発チームのトレーナーであるブッティとソパーンに、「一番仕事をしていて嬉しいと感じる瞬間はいつ?」と聞いたときのこと。
日々真剣に向き合うものづくりの話が出てくるかと思いきや、彼女たちの答えは「みんなで一緒にごはんを食べているとき」というものだった。

普段は“先生と生徒”という関係性のカンボジア人トレーナーと作り手。もちろん仕事は一生懸命。厳しい指導が入ることもある。
でも、昼休みになるとそんな関係など分け隔てなく、みんなで集まってわいわいと話し、ごはんを食べながら笑い転げている。雰囲気はもはや女子校のようだ。

「みんなで話していることがあまりにも楽しくて、家でも一人で思い出し笑いをしちゃう(笑)」と嬉しそうに話すトレーナーのソパーン。

もちろん、女性たちはものづくりをするために工房に来ている。でも、それがすべてではない。ものづくりを通して生まれる関係性や何気ない幸せな瞬間は、きっと工房で働くことをやめても続いていくだろう。

一方で、家庭に戻れば過酷な家庭環境の中を生きている女性たちもいる。そんな中でも自分が日々幸せに生きることを、彼女たちは諦めない。
こんなところにいるはずじゃなかった、親のせいで、と卑屈になるのではなくて、工房という場所で仲間を見つけて、みんなで笑ってお昼ご飯を食べる、この幸せな時間を大切にして、強く生きている。

どんな過去を抱えていても、目の前のことに一生懸命取り組み、努力を重ね、時には悩み、そして時には思いっきり笑いながら、自分の人生を見つけていく。そしてその成長を心から共に喜べる仲間と、居場所がある。
そんな彼女たちを見ていると、これこそが私のやりたかった「ものづくり」だと、言葉にならない喜びがこみ上げるとともに、悩みながらも自分の信じる道を選んでよかったと心から思えた。

たくさんの幸せや価値を生み出すものづくりが、広がっていくように

私は普段日本で仕事をしていて、なかなか作り手の様子を直接目にすることはない。
十分に言葉も通じないので、会話もできない。でも、彼女たちの幸せを心から願っている。

去年は、私にとっては挫折の年だった。
日本で有名な企業に商品を取り扱ってもらえそうな機会があったが、もう少しのところで実現には至らなかった。一番の理由はデザインだった。

だからこそ、これからより多くの人にSALASUSUの商品を使ってもらうことができるかは、デザイナーである私にかかっているとも思う。

もっと使い手を魅了し、喜ばれる素敵なものを作りたい。商品が多くの人に手に取られ、工房には商品を持った人が絶えず訪れる、そんな景色を工房のみんなに見せてあげたい。

その過程を通して、彼女たちにたくさんの成長や幸せが生まれていくように。
豊かなものづくりの形が、世界中に広がっていくように。

そんな未来を目指して、日々のものづくりに励んでいる。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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Writer

SALASUSUブランドディレクター菅原 裕恵HIROE SUGAWARA

美術大学卒業後、東京で6年間の婦人靴のデザイナー経験を経て、2016年よりSALASUSUに参画。SALASUSUのプロダクトデザイン、ディレクションを担当。1年間の駐在のち現在はカンボジアと日本を行き来しながら、目に見えない付加価値を追求したものづくりを模索中。

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