「頑張れる」は環境が与えてくれる技術

 

人が自分の足で立とうとするとき、その背中を支えてくれるものはなにか

僕がよく講演でお話しするのが、「4日で就職した工場を辞めてしまった女の子」の話である。農村にいるときよりも4倍は良い給料、必要な縫製技術も身につけていた彼女が何故就職したばかりの工場を4日で辞めてしまったのか。彼女に聞いてみると「家が見つからなかったから」という理由であった。

「確かに農村から都会に出てきて家を見つけなくてはいけないとはいえ、200人もいる工場でスタッフも沢山いるのに、家くらいどうにかできるだろう、もったいない、もうちょっと頑張れよ。」

それが話を聞いて僕の抱いた率直な最初の感想。でも結局彼女をうちの農村の工房で受け入れて一緒に働く中で思い直したことが、「逆に何故僕は今頑張れているのか」という事だった。はたして僕は自分の「意志」や「努力」だけで今日という日を頑張っているのだろうか。僕が今日頑張れるのは、「今日頑張ると良い事があるよ」「頑張るってこうやるんだよ」と直接もしくは背中で教えてくれた、家族や学校の教師や同僚や先輩のおかげではないだろうか。

そう思ったときに、もう一つの問いは「果たしてどれだけの人が彼女にそのことを伝えてあげてきたのだろうか」ということだった。目の前にチャンスがあってそれをいかさなかった、自己責任だね、と言うのはたやすい。じゃあそのチャンスをいかすだけの技術や環境やこれまでどれくらい整えて来たのかも問われるべきではないか。

機会の平等というならば、今日の僕の背中を支えてくれる様々な経験・体験・技術を提供してこそはじめて平等に機会が与えられたといえるのではないか。

 

頑張るための技術 = ライフスキル

その技術を僕らなりに一つずつ分解し習慣に落としたものが僕らの提唱する「ライフスキル」である。「問題解決」「対人関係」「自己管理」「基礎リテラシー」「職業倫理」「自信」の6つのコンポーネントからなる。

この名前だけ聞くと、カンボジアの農村でなくても日本の企業でもほとんど同じ事が大事なように聞こえるかも知れない。そして僕も実際のところはそうだと思う。非常に時間的に・空間的に・文脈的にユニバーサルなスキルであり、人類が数千年前から悩んでいることも多くはこの内容である。

例えば2000年ほど前に書かれたマルクスアウレリウスの自省録にも、今日本屋でならんでいる本にも似たような事が書いてある。この先人類が火星に移住しても同じ事で悩むだろうと思う。人間が社会の中で自立して、自分の人生を前向きに生きていくために必要な習慣というのもは本当に共通のものだろう。

もちろん具体的な行動はそれぞれに異なるだろう。「時間を守る」という習慣は村の社会と工場の中では大分基準が違う。前者は30分ずれても問題ないこともあるが、後者は5分遅れることも許されない。もちろんだからこそそこを横断しなくてはいけないカンボジアの農村にいる女性達にそれを伝えているわけだが。

 

ライフスキルの水道哲学

僕の夢の一つは、ライフスキル教育がどんな人にも分け隔て無く提供される世の中にすることだ。どんな家庭に生まれても、例え小学校を中退しなくてはいけなかったとしても、クオリティの高いライフスキル教育を安価で受けることができる、まさに今日の水道のように提供される世の中にしていきたいとおもう。
自分の人生をワクワクして前向きに生きていくための環境と技術が誰にでも提供される社会を作るのが僕らの役割ではないだろうか。

「頑張れる」は環境が与えてくれる技術であり、その環境を作るために自分の人生を捧げたい、そう思うのである。

※冒頭の絵:僕らが目指すライフスキル教育が世の中に行き渡る社会